スティーブン高橋の日記的なサムスィン

ジャンル:君と人生におけるネクストコナンズヒントを開拓する日記

アニメに感化された/あーあー果てしないー

 SHIROBAKOというアニメがある。アニメ制作現場の業界関係者の日常を主人公の制作進行の女の子の所属する会社を中心に描く仕事アニメだ。先週から今週放送の話は理想を持って業界に入ったものの現実とのギャップに耐え切れず、徐々に擦り減りひねくれてしまった平岡の話だとか色々面白い場面があったが、何故アニメを作るのかという先週からの問いに各々が答えていくシーンで出てきた物語が必要ない人間がいることはわかっているけど、自分には物語が必要だという言葉が一番印象に残った。

 自分も多分物語が好きだ。というか自分に自信が無いからなのか、なかなか胸を張って好きと言えるものが歌とこれぐらいしか無い。なんで物語が好きなんだろうと考えると単純にこんなこと考えるやつがいるのかスゲーな!という点と、自分が観たことの無いものを観れるという点だろう。つまらない自分が疑似的にだが違う体験をしているかのような感覚になれるだとかまあそういうことだろう。後他人がどんなことを考えて今を生きてるんだろうとかそういうことを知るための足掛かりにしたいのだと思う。

 上の文とは関係ないが、以前から思っていることを口に出す前に書き出してみようと思ってたから日記は書いてみようと思っていたが、なんでこんな痛々しい日記をどうせ誰も見ないだろうに、しかし誰でも見ようと思えば見ることのできる、もしくは偶然目にしてしまうかもしれないブログという場で公開しようと思ったのか(なんでやろうと思ったか)というと、私が常々思っていた私は自分で自分を騙して生きていこうとしているのではないかという疑問を確かめてみるためにこれを始めたのではないだろうかと考えた。文を公開してしまったらその事実から目を背けることはできない。日々自分が感じていることを素直に吐き出していって、あとで見返したときそれで何も感じないのなら、自分はこういう人間で、自分が考えている通りの自分なのだと確認できるので、自分と自分(の考えている自分)の一致に根拠を持てる。まあそれならそれでいい。もし違っていたのだとしたら、もし自分が変なやつである自分を無理やり正当化するために思ってもいないことを強がりで吐き出す弱い人間だったのだと確認できたなら、プライドや人への嫉妬、自分の無能に対する諦めみたいなモノで構成された気持ちの悪い人間を少しずつ受け入れられるようになるのではないか。そう期待したからだ。最近、理想と現実にギャップがあるならば、それを受け入れて前向きに生きていきたいと考えようと思え始めてきたからだ。そのための確認。つまりは自分探しとかいう後で思い返してみると死にたくなる恐ろしい中二病を再発してしまったということなのだ。あとたぶん自分が恥ずかしいことをしてしまってもそれに酔える一種のMなんじゃないか(ナンナンジャーナンジャナンジャー、カクレンジャーニンジャ、ニンジャー)ということを確認してみたい。そうしたい!