スティーブン高橋の日記的なサムスィン

ジャンル:君と人生におけるネクストコナンズヒントを開拓する日記

魍魎の匣を読んだよ

 タブレットの充電ポートが壊れたおかげで、バッテリーに給電できず完全に文鎮と化しショックを受けております。

 

 家にある本を読んでみようと言う事で中学生のとき振りに京極夏彦百鬼夜行シリーズ?第2弾魍魎の匣を読みました。大まかなあらすじは覚えていたのですが人物の心理など細かいところ(当時は展開にばかり目がいって細かいと思っていたところ)はほとんど覚えていませんでした。当時は誰に感情移入するでもなく(強いて言えば関口君だろうか)読んでいたけれど、今回読んだ時は思い返すとまず初恋刑事な木場修、事件の中心に居る元役者の柚木陽子、小説家の久保竣公辺りに近づきながら読んでいたように思う。木場の自分は警察という社会的な肩書き(=箱を構成する壁)がなければ中には何もない箱の様な人間だと言う自己分析にはなるほど言わんとする事はわかる気がするというかんじで考えさせられたし、陽子の執着はまさしく事件の始まりでもあり終わりでもある。久保も、医者であり近代化学に魂全振りな美馬坂も世間的には狂人ではあるが、ただ狂人だからイコール理解できないモノとして描写されていたわけでないのが作品のテーマの一つであるようにも感じた。

 あくまで私とあなたの違いは生き方や価値観が違うだけであるという積み重ねは、ラストの文字通り箱入り娘になってしまった加菜子だったモノと一緒に旅をする雨宮は、死体とはいえ好きな加菜子と共に居る事はできる、雨宮という男は現実を自分に都合良く肯定できる男であり、ともかく加菜子と一緒に居られさえすればどんな形でも構わない、ゆえに幸せである...という幸せになる最も簡単な方法は狂ってしまう事なのだという描写に説得力をもたらした。そしてそれを羨ましいと感じた関口へと感情移入させられた。 

 

 今思いかえすと映画はだいぶエンターテインメント化されてたなあとか(最後とか脱出劇とかになってた気がする)、榎木津は阿部寛ってのもまた印象が違うけどなるほどおもしろいって感じもするしだけどアニメは30代には絶対みえねえよとか色々感じますね。後魍魎の匣のオマージュな殻ノ少女を(前半の女学院の話は絡新婦の理ライクだったけど)やった後だと、というかあれがそっちに重きを置いた話として作ったんだろうけど前半で死にかけその後台詞等心理描写がほとんどなく死んでしまった加菜子とか、彼女に妄執を抱いていた(惨めな暮らしの自分は神聖な雰囲気の加菜子になることで救われるという同一化の念)楠本頼子の最後だとかはもっと書いてほしかった感はあるけど書いてあったら書いてあったで救いがなさすぎて気持ちがすごく曇りそうな気はした。結局加菜子も雨宮も周りに翻弄されすぎてかわいそうな事になってくんだよね。

 

 全く関係ないけど聴くと以外にクサい感あっていい曲だった。 


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